類人猿と人類の最大の違いが体毛の有無だとすると、人類は何故体毛を喪失すると云う進化を遂げたのだろう?
一般的には、二足直立歩行により、頭にのみ太陽光が強く当たる為に頭部のみに体毛が残ったと考えられているようだが、頭以外の体にも太陽光は当たり背中が熱くなる経験をする事は散歩をしていても多々あると思うが、それは私だけだろうか?
人類の体毛喪失の理由は気候変動により森林がサバンナへと変化した為採集だけでは食料の確保が困難になり、狩猟の為長時間走り続ける必要性が生じ、汗をかくという体温調節機能を確保する為だと云う事は明白だろう。しかし、ここである疑問が残る。それは、長時間走れる事が必ずしも狩猟に於いて必須ではないからだ。
たとえ長時間動物を追跡できてもそれを仕留める為の鋭い牙や爪を持たない人類が獲物を狩る事が出来るだろうか?槍などの武器を使う事により初めて、それが可能になるのではないだろうか?
上記の理由から、あくまで私の独断になるが、武器の発明によって人類は体毛を喪失するに至ったと考えられる。
進化には自然選択と人為選択とがあり、自然環境に適応し淘汰を免れる為に変化する自然選択と人為的に品種改良などによって進化する人為選択がある。一般に人為選択は人間以外の動植物に適用される概念だが、人類は自らの発明品、先に挙げた槍などの武器によって、自ら人為選択を誘発し、その結果恐るべき短時間で進化を遂げ、類人猿から現在の人類へ至ったと考えるのは無謀だろうか?
ミッシングリンクが何故見つからないのか?それは、ミッシングリンクが存在しないからではないのか?
何故私がこのような事を今語るのか?
人類はコンピューター、インターネット、AI、IoT、ブロックチェーンと云った、自らの発明によって進化しようとしている兆候を私の鋭い直感と云うセンサーが感知しているからだ。
私は当然AIに文章を書かせる事は無い。デザインも自分で行い、写真も自分で撮る。AIはあくまでアシスタントとして、また、膨大な時間やコストの削減が可能だから日常的に使用しているに過ぎない。
が、AIに文章を書かせる、アイディアを出してもらう、シナリオを書かせる等、知能労働そのものをAIに委ねる人々も多い。
新たな格差社会は知能格差によるものになるだろう。
AIを使うか、自分ではAIを使っているつもりでも、結果としてAIに使われるか、による格差は今後計り知れない格差を生むだろう。
それが、どう社会に影響を及ぼすのかは、今のところ私のセンサーでも感知出来ない。
以前私がウエブデザインを主な業務にしていた頃、良質なサイトを創れば検索の上位に表示され多くの人々に見てもらえたが、いつしか質よりも量が重要視される様になり、その情報量でサイトは絶対にSNSに敵わない、ネットはウェブサイトからSNSの時代へと変化した。当然私も自己のサイトよりもSNSでの情報発信にウエイトを置くようになり、更にスマートフォンの普及に伴いサイトよりもアプリケーションへと変遷して行き、デザイナーでは無くフロントエンジニアが台頭し、デザイナーの地位は低くなって行き、その結果広告だらけの無粋なサイトが乱立するデザイン不在の時代へと突入した。そして私自身もサイトを殆ど見なくなった。しかし、AIの進歩により、検索を何度も繰り返し膨大な時間を浪費する事無く、瞬時に優良な情報にリーチ出来る今日、再び良質なサイトを創る意味が出てきた。ユーザーがAIに質問した際に参考サイトが提示される為、良質な情報を提供しているサイトへのリーチが増加するのは必然である。
ネット黎明期に良質なサイトを私が制作し大企業のサイトよりも検索では上位に表示されていた!
しかし、AIの進歩により、検索を繰り返さなくても質の高い情報に瞬時にアクセスできるようになった。これによって、優れたウェブサイトを作る意味が戻ってきた。ユーザーがAIに質問すると参考サイトが提示され、質の高い情報を提供するサイトが注目されるのは必然である。かつてインターネットの黎明期に質の高いウェブサイトを作り、多くの大企業のウェブサイトよりも多くの人にリーチしていた時代が再び始まったのだ!
今思えば始まりは数年前(2012年)突然ランサーズがランサーズプロと云う新しいサービスを始める際に「あなたがトップデザイナーとしてトップページで紹介されます」と言うメールが届いた時だったと思う。何故私が?クラウドワークスでは何度か仕事を受託した事はあるがランサーズは始めて間もない頃で一度も受託した事が無い、にも関わらずトップデザイナーとは?だが直ぐに閃いた。私は早期からAIに着目しておりPythonも日本で関係書籍が数冊海外版の翻訳ものがメインと云う時期から注目していた、故に「あっAIか!」と。しかし、日本のクライアント、それも東大法学部卒業後有名外資コンサルを経てコンサル会社を起業し有名企業をクライアントに持つ典型的人脈こそイノチ!的クライアントとロックの申し子の様な私がマッチングする筈も無く、私からキャンセルした。
それから数年後コロナ禍で世界が混乱と不安の中にあった頃、これ迄一度も支払いが滞った事など皆無な私の元に複数のクレジットカード限度減額を知らせる通知が届いた。理由は私がフリーランスだからだろうと思われる。
その後コロナ過がある程度落ち着いて行く見込みが見え始めた頃、突然複数の金融サービスから限度額が上がった事を伝える通知が次々と送られてきた。普通ならコロナ過が沈静に向かっているからだろうと思うだろうが、私はその頃AIの性能が急激に進化した事を翻訳の精度などから気付いていたので、またも「AIか!」と閃いた。
私はクリエイターであり専門家ではないのであくまで私の直感的推論でしかないが、Transformerの論文の発表が2017年、その後実装され先進的企業が本格的にビジネスに実戦投入し始めたと考えれば納得できる。
そして、まるでデジャヴの様に又も突然フォロワー数十万から数千万もいる超有名ミュージシャン達の「トップファンに認定されました。」と言う通知が2日と間を置かず次々とFacebook から飛びこんで来た。
スコアリングとは金融機関等が使用する手法で融資の限度額を素早く決定する為に(今日ではAIを用いて)使われている技術やその手法を云う、現在AIは使われてはいないが、分かり易い例として自動車保険のノンフリート等級がそれに近い。その様に事前にユーザーを何ランクかにスコアリングしておけば幾つかの質問で見積りが数分で完了する。企業にとってもユーザーにとっても便利な機能と言える。が、それはスコアが高いユーザーにとってのはなしで、そうでないユーザーにしてみれば恐ろしく厄介な存在と言える。少しスコアが下がったくらいなら挽回することは可能だろうが、最低レベルのスコアの人物がそれを上げて行くのは容易では無いだろう。ECサイトで支払いの際にトラブルが多発した、商品やサービスにやたらクレームを入れる。オークションサイト等の評価が非常に悪い。このようなサービスを行っている企業は概ね何らかの金融サービスも行っている。そしてそのデータをある程度共有している可能性がある。そして、既にフードデリバリーのドライバーは遅配率や評価などをスコアとして高スコアなドライバーほど優先的にオーダーがオファーされる等他業種でも導入されている。
念を押すが、これはあくまでも私の個人的分析であり何の根拠も無い事を念頭に置いて頂きたい。そして、今度はSNSがその手法を使い始めたと考えるのは、論理の飛躍だろうか?
現状のFacebookとX(旧twitter)を比較してみると、有名アカウントに私がコメントを入れた場合、Xではコメントがあまりも多すぎる為コメントが埋もれてしまうが、 Facebookではデフォルト設定では関連度に応じてコメントが表示され一部のコメントしか表示されない。当然トップファンのコメントは優先的に表示される。また、広告やおすすめも以前は両社共にうるさいので、「興味がありません」を連日連打しても一向に反映されなかったが、 Facebookは現在一度「関連がない」と通知すると次からは表示されないが、Xは相変わらずだ、そして、最もウザイのがロック画面への通知だが、最近は Facebookの場合たまに通知がくる程度になったがXは相変わらずで、私はたまらず通知をオフにしたくらい関連もなく興味のないアカウントの通知「○○さんが○○しました」的な通知が止めどなく送られて来る。
私は Facebookの回し者でもなくトップファンに選ばれたのを自慢したい分けでもない、高性能なAIを導入した企業とそうでない企業がユーザーとその企業に与えるメリットについて語っているだけだ。
そして、私が Facebookの微妙ではあるが重要な変化に何故着目したかを最後に述べると、 FacebookはMETAへとその社名を変更する以前Libraという金融サービスを計画し、そのあまりの凄さを脅威に感じた世界中の金融機関や政府の抵抗に合い断念したという失敗経験をもつが、Libraは言うまでもなく金融サービスである。その29億人とも言われる膨大なユーザーの全てではないとしても、既にスコアリングしていたとしたら?
現在私たちが生きている世界はこの様に情報によって駆動するデータドリブン社会へと既に突入している。そして、今後益々それは加速し増大する事は必至だろう。これまで適当に胡麻化して上手く世渡りする事が利口だと思っていた方は生き方を変えるべきでは?
しかし、良いことばかりではないのは全てのテクノロジーが急速に普及する場合付いて回る事は言う迄もない現実である。
もしも信用情報が外部へ流出したら?
スコアの査定が適正であるとどの様に証明するのか?
貧富の差を拡大しないように運用する手法の確立。
また、防犯カメラの映像のようなデータまでも利用された場合管理社会となる可能性がある。
そればかりか、政府が国民をスコアリングしたら?
等課題は山積されているのも事実である。
では、どの様にデータサバイバーとして現在社会を生き抜くべきか?それは、また後日語る事にする。
バイアスとノイズ
意思決定、通常「判断」と言う事が多いが、プロジェクトを成功させる為には適切な判断が必須であることは言うまでもないが。その判断を誤らせる要因にバイアスとノイズがある。バイアスは偏り、ノイズはバラつきである。組織が巨大になる程それらもまた大きくなる事は誰でも想像できるだろう。
企業の会議で結論が全く纏まらず、次回に持ち越されるなど時間ばかり掛かり生産性が上がらないのはこれらが要因になっている場合が多い。
幸い私はフリーランスのクリエーターなので、バイアスは個性に繋がる事が多いが(私は自己のバイアスをある程度客観的に見る事が生得的に出来、また、それを長年学習や訓練によって強化している)、ノイズはコンセプトを曖昧にし、訴求力を弱める。ただし、今回のテーマは私の特殊な手法を語るもので、通常の組織やシステムに生じるノイズに関しては、ダニエル・カーネマン等の書籍の一読をお勧めする。
私の場合のノイズとは行動経済学で云うノイズとは異なり、正解や前例の無い事象に対して判断しなければならない場合に判断を狂わせる要因を言う、学門とは違い私の様に現場で瞬時に判断を要求される事が多い職業の場合。例えば、創作において、作品をどの様なパーソナリティを持つユーザーにターゲッティングしそれをどうメディアを駆使してリーチさせるか?また、仕事の現場では実践的に、プレゼンでクライアントに予期せぬ質問をされた場合、咄嗟に、それもほぼ反射的に回答したり、講師の場合も同様に、アドリブで生徒の質問に答える等がそれだ。
しかし、この様な特殊な事例を解説しても読者には役に立たないだろう事を私は熟知しているので、今回の本題はSNSでの情報のバラつき、所謂“雑音“と呼ばれる五月蠅いだけの情報をノイズと呼ぶ。
現在のインターネット、特にSNSはノイズに溢れている。その中で優良な情報だけを選択することは極めて困難であるが、それが出来るか否かによって天と地ほどの情報格差が生じる。「情報集約型の社会では情報こそが最大の財である」とは、ピーター・ドラッガーの言葉だが、現在、社会は既に情報集約型社会である。以前、「お金は信用」だったが現在は「情報は信用」だ。以前コラムで述べたスコアリングがその例だ。
大企業に勤務していて安定した収入があり、ある程度の貯蓄があったとしても、AIはその人物のSNSでの発言やECでの購買履歴と云った情報を参照する可能性すらある。そういった行動をビヘイビアと呼ぶが、AIは個々のビヘイビアを分析し、信用度や投資対象としてのレベルを算出する。SNSで自分を豊かに見せる為に収入に見合わない高価なブランド品を購入するタイプの人物は高級ブランドの顧客としては優良な顧客にリストされるかもしれないが、もしも、あなたがそのような人物に「お金を貸して欲しいと言われた場合」どうしますか?
そこで、本題に入るが、私がフォロワーを必要としないのは、上記の様なノイジーな人物が発するノイズを除去する為だ。私に、もし何万人ものフォロワーが居ればその大多数は確実にノイズ発生装置となる。「今日の晩御飯は〇〇です」、「代官山のカフェに行きました」、「ライカのカメラで撮りました」etc。私にはどうでも良いどころかその様なポストが連日何千とタイムラインに羅列される中、ほんの一握りの優良情報を探す時間的ロスは計り知れない。そのうえ、私のポストに対するビューや「イイね」の数字が曖昧になり、ノイズと化す。結果、前出した例の様に判断を誤らせる。また、集団によってノイズが増幅する事はカーネマンもその著書で述べている。
ノイズにはフィルターが必要
X(旧Twitter)の数字が当てにならないのは昔からの事で、以前少し話題になったが、「5,000円でフォロワーを5,000人にします」とか、「1,000円で「イイね」3,000にします」。など多くのビジネスマッチングアプリに多数業者がサービスを出品していた。(今でもその様な業者は存在するだろうが)その頃就活の為のハッタリ目的で何の変哲も無い大学生がフォロワー5,000人とか珍しくなかった。
そして、この原稿を執筆している2023年10月現在、X(旧Twitter)をチョット見ると、おすすめのタイムラインに、海外の人気ミュージシャンの英語でのポストのビューが約3万、日本人の「誰、この人?」的アカウントのさほど重要とも思えない株式投資に関するポストが115万、ChatGPT関連の日本人の誰だか知らないアカウントのポストが32万、イーロン・マスクの英単語2つの短いポストが100万弱。もはや分析不能!
これまでの私の経験(私がTwitterを始めたのが2009年3月)から言うと、上記の例で、海外の人気ミュージシャンの英語でのポスト以外は異常な数字、特異点(singular point)と呼べるレベルだが、それが恒常化しているX(旧Twitter)の現状下で私が取った戦略はFacebookのポストをX(旧Twitter)にシェアする事だ。
現在のX(旧Twitter)のビューは表示回数である、つまり、そのポストが読まれた回数を表すものではない。
そもそも、それらのポストは前出の例ではイーロン・マスクとイギリス人ミュージシャン以外は、皆長文だ。と云う事は課金ユーザーのポストばかりと云う事になる!(下記通知の記述を参照)また、この様な長文を最後まで読むユーザーがどれだけいるだろうか?仮に1,000人に一人だとすると、実際のビューは100万ビューで1,000人と云ったところか?
以前のコラムにも書いたがX(旧Twitter)は全く興味の無いポストが「あなたへのおすすめ」として大量に通知され、タイムラインにも表示される。表示数は確かに増えるだろうし、ポストした本人が見てもカウントされる。となるとこの数字に何の意味があるだろうか?ポストした本人にとってはハッタリに使えるかもしれないが、私にとっては判断を誤らせる材料、ノイズでしかない。しかし、Facebookからのシェアは表示されただけではカウントされない。そこに着目したのだ。その上無料で長文をポスト出来る。正に一石二鳥だ。
日常的にクリエイティブシンキングを繰り返し、脳を鍛えていると創作活動以外にもこの様にアイデアが出てくる。
この様にノイズの少ない優良なデータを如何に得られかを工夫しなければ、大量のノイズを含むデータから得た情報を元にした判断はほぼ誤ったものとなるだろう。その上ノイズは増幅するので、データが大量になればなる程ノイズ量は飛躍的に増加する。データをどの様にフィルタリングするかが鍵となるのは明白だ、フィルタリング自体はよく目にするが、殆どがスパムメールや有害サイトをフィルタリングするなどを指し、行動経済学的見地やメディア分析的見地で語られたものは少ない。
雑音(ノイズ)だらけのパーティー会場では声高な声だけが響く、その内容とは無関係に。今のネットが正にそれだ。その様な状況下で、如何に大声を上げずに的確なターゲットに適切な情報をメディアを駆使して伝達できるか?
その為にはノイズをなんらかの方法で除去する必要がある。