私はこれ迄に多くのジャンルの仕事に携わって来ました、そこで得た知識や経験、失敗や成功の体験は今、私の最大の資産です。
大学在籍時にロックミュージックのライブやレアな映像作品の自主上映の企画運営を行っていた私は、それらの商業的に将来性が見込めない事や、それらの宣伝の為に自身でポスターや自費出版の雑誌を企画デザインしているうちにデザインや写真を撮影、文章を書く事が私の天職だと気づき、日本にデザインや芸術を文化として広めた第一人者である長沢節氏が主宰し、多くのデザイナーやイラストレーター、画家を輩出してきた「セツ・モードセミナー」で絵画を学んだ。が、技術的に絵は上達したが、オリジナリティのある作品が描けずに悩んでいた。
その頃興味を持ったのが、プロダクト・デザインだったそして、特に家具のデザインに実用品と彫刻の両方の姿を見た私は、日本随一の家具モデラー宮本茂樹氏の下で家具職人となり、その後何のコネクションも無いまま、フリーランスの家具デザイナーとなり、試作品を多くの有名デザイナーや建築家に見てもらい高い評価を受け、第一回東京デザイナーズウィークに出展した作品は、絶賛され雑誌やテレビで紹介され、若干27歳で一躍有名デザイナーとなった。
このイギリスの前衛ジャズロックバンドSoft
Machineの名曲の名を冠した椅子は、一見前衛作品に見えるが、実はとても座り心地が良い。それだけではなく、様々なパーツを組み合わせて多様な機能を持たせる事が出来、連結する事も可能な工業製品だが、背の部分の細いスティールロッドは一本一本職人が本体パイプに穴をあけ接合部分を溶接した後に磨いて仕上げた工芸品でもある。
因みにこの写真の椅子には灰皿をセットしているが、CDプレイヤーをセットする事も可能なパブリックファニチャーだ。
この頃すでにコンピューターに興味を持っていた私の未来を暗示させるこの椅子は、「リートフェルト」の「赤と青の椅子」の様な二枚の板でどこまで座り心地を良くできるかと云う機能的ミニマリズムを追求しつつ、同時に如何に美しいオブジェクトとして成立させるか?を模索したものだ。
当時インテリアに使われる色は地味なモノトーンやベージュか、反対にカラフルなオレンジ色やグリーンという感じだったが、私は、日本の伝統的な色を現代的にアレンジした色彩をこの椅子にペイントした。
色の調合に苦労した塗装職人に感謝したい。
1 Moon in June
家具デザイナーとして若くして業界では革命児的な評価を得たが、商業的には成功とは言い難い状況だった。オーダーメイドの家具はあまりに高額になる為、私の家具を量産してくれるメーカーを探していた。幸い日本で最も大きなオフィス事務用品メーカーのシニア・マネージャーが私の画期的なオフィスファニチャーを気に入ってくれ、大阪の本社に行ってプレゼンテーションしてくれたが、結果はNO!。
日本の企業は有名な建築家やデザイナーがデザインしたプロジェクトに大量な受注を受ける事しか考えておらず、ちょっと有名になった程度の若僧のデザインには興味が無かったのだ
。
その後、私は、家具の傍ら、建築を学ぶ為に大手ゼネコンと契約し現場や設計部で働いていた。
ところが、それ迄急速に経済成長していた日本にバブル崩壊という危機が訪れ、建築、不動産、証券関係の企業を中心に業績悪化や倒産が相次ぎ、都心でも建築途中で放置されたビルが廃墟の様に各地に点在すると言う前代未聞の状況に陥っていた。
当然私自身の収入も激減を余儀なくされた。
その頃既にMacでPhotoshopやIllustratorを業務に使い始めていた私は、インターネットの到来により、「これが未来だ!」と感じ、独学でウエブデザインやDTPを業務にし、講師を生業とし始めたのもその頃からだった。
私は今後様々な創作活動と共に、それを社会に役立てる為にはどの様に戦略を策定すべきかを自分自身で実験し、その結果をクライアントや生徒にフィードバックする事で、一つ間違えれば破滅へと向かう可能性を秘めた現代のテクノロジーを誤った方向へと向かわないようコントロールする可能性を模索したいと考えている。